改訂版幻想の直江津キッズ96式菓子ととりまんのこと

改訂版幻想の直江津キッズ96式菓子ととりまんのこと

とりまんといったらたいていの直江津の人は知っているが、祇園祭の行われる八坂神社の参道の一角にある歓楽街のなじみの店である。

大広間や座敷では披露宴や様な飲み会や宴会が開かれている、焼き鳥でも知られ、その料亭というか料理店の名物、独特のだみ声の女傑とでもいうとりまんのばあちゃんこそ、だれあろう、わが家のおやじさんの姉なのである。つまり親せきなのだ。

で、とりまんのばあちゃんは、一日に千本の焼き鳥を串に刺す、といわれ、おやじさんのことをセチャと呼ぶ。父親の名前が誠一だからで、わが父親は末っ子の七男で、とりまんのばあちゃんはずーっと年上の姉で次女なのだ。

昔はとても別嬪できれいだったというが、少なくともぼくの子どものころはそういう面影はとうに消えうせて、というか想像することすらすでに困難ですみません、ただほっそりと小柄な女傑のおばあちゃんで、かつ、とっても温かい弟思いの姉、ということだけは忘れずに心に残っている。あきら!と呼ばれて肩を叩かれたり、おまんた、そうかね!とおふくろも励まされたり、元気かやーと突然現れたり。

後のことで恐縮だが、わが家にお嫁さんが来たとき、ぼくのお嫁さんだが、そのころはまだ地元の小さな新聞社の記者で、相変わらずわが家は貧乏で、そんなとき、そんな状況なのに、結婚するといってくれたそのお嫁さんに、とりまんのばあちゃんはよーくおまん、おらちにわが家に嫁に来てくんなったねーと手を取ってよろこんでくれたというのである。この話をするときのお嫁さんは、いつも胸を熱くさせており、ぼくもいつも胸が熱くなる。それからわが家は上げ潮になったのだが、それはまた別の話である。

とにかくそういう関係で、とりまんがわが家を助けてやろうと、結婚式や法事の引き出物の箱入りの式菓子を注文してくれたのである。

恐縮だが、おやじさんがつくるお菓子はおいしくて評判がよかった。それでどんどん注文が来て、おふくろもおやじさんも徹夜してがんばり、朝には二階の階段から下を眺めると狭い茶の間は箱入りの式菓子がびっしり並んでいる、ってなふうで、おやじさんは自転車の荷台に積んで八坂神社の参道を何度も往復してとりまんに届けたのである。

そういうときにはぼくもリヤカーを引っ張って動員された。

そして広間の真っ赤な伊勢エビや鯛なんかのごちそうがずらーっと並んだ箱膳の席の横に一つ一つ、名前の札ごとに間違わないよう、箱入りのお菓子を並べていくのである。

おめでたい結婚式の披露宴には桜色した跳ね鯛タイや丸まった大エビがお決まりで、平ぺったい大きな箱には、縦四はあろうという桜色の跳ね鯛が一匹、横たわっている。中くらいの鯛を一匹、箱入りにするときもあったし、さらに口取りといって別におめでたい鶴や松が描かれた亀甲やエビやタケノコ孟宗竹や、留め袖みたいに豪華な模様を描いた練り羊羹とかを詰め合わせた箱がつく。

こういう式菓子はたいていわが家で蒸し菓子といっていた生菓子練り物で、これには精巧な木製の菓子型があるんだけど、最近はネットで売りに出されているようでビックリしたけど、この型と人の手先で形を出し、食紅を吹きつけて着色し、中にはあんこが入っている。全体が白あんのお菓子なので、あんこをあんこで包むわけです。

ただし鯛の目は、おやじさんが白いあんこを小さく丸くして、それを白目の形に平らにして、その上に黒目のあんこを乗せた。そうして最後に寒天を湯煎して溶かして刷毛で塗る。つやつやの艶が出てピッカピッカの鯛の尾頭付きです。

鯉や黒鯛、それにピンク色した身と白い中骨と外側の黒い魚体の見事な切り身もあって、黒い魚体の鯉は薄墨を吹きつけた。お腹の方は生と白い。三センチを越える大鯛や美しい鱗の跳ね鯛の精巧な型なんかがいまもわが家に残っている。

小さな菓子屋でも、なかなかのもんよー

いつも力作だなあーと思っていたのは黒い練り羊羹で、女性の和服の正装の黒い留め袖の雰囲気の模様というか絵柄が黒い練り羊羹の上に描かれる。やりかたはブーブー紙っていってたけど、セロハンというかトレース用紙をロート状に巻いて、その中に色違いの羊羹を熱いまま流し込み、それはやわらかいから、その先端をはさみでチョンっと切って、そこからひねり出して絵柄を描くのです。さらにその上からもう一層、透明な寒天を流し込んで絵柄が透明な寒天を透かして下の練り羊羹の表面に見える、というもの。ゴージャスな雰囲気で、松の枝に鶴とかも描かれた。蒸し菓子の型は使わずに掌や手の側面なんかで丸く首を折ったデザインの真っ白な美しい丹頂鶴もあった。

箱の内側には、正月のお供えの三宝と同じように縁を赤い色で彩ったいおめでたい白い紙の敷紙を敷いて、その上に式菓子がくっつかないように薄い経木を敷き、箱のふたの表におめでたいのし紙を被せ、金色の紙の帯び紐を渡して飾る。

まあ、このふたの内側に製造月日のシールとわが家の住所入りの判を押したわけ。

で、手先の細工が必要なのは反ったエビで、一応は型に押しつけてつくるんだけど、細部までは表現できない。それで反った体の内側の足の部分の細工は、クロワッサンみたいなもんで、指で内側をつまんで指の跡をつくり、それを鱗状に潰していってつくる。エビの殻の節の部分は、短い三角柱の木の道具棒があって、それを曲面に沿って下から上へ弓の形に押しつけながら動かして刻む。棒には三つの角ごとに二重線や一重の線がついていて、それでいろんなマチエールのある窪み線をつくる。これでエビの体節構造ができる。

が、エビの頭の方は三角形に尖っているだけなので、先端の口先のひげの部分は細い線を何本も三角柱の道具を当てて描く。頭と胴体の境目は和ばさみでチョキチョキとピエロのフリルの襟元ふうに切って、それをアザミの花の総苞そうほうふうにとげとげに仕立てるとそれらしくなる。目の部分は白いあんこを涙滴状にして、とげとげぎざぎざの間に差し込み、瞳は、紙のロートで黒い羊羹を押し出してつける。

幼いときからじーっとおやじさんの手先を見つめていて、何度も、なるほどそうか、そうやってつくるのか、これって粘土工作に利用できそう、なんて感心したものです。

これも菓子職人たちが長年にわたって努力を積み重ねて創案してきた伝統なのでしょう。

最後に、食紅を調合して着色する。その色合いがまあ、出来映えのほとんどすべてを左右する。それぞれのお店の特徴にもなり、その職人のセンス、つまり田舎くさいか上品かの分かれ目だ。まあ、わが家の鯛の色はまさに鯛色の淡いピンク色で、真っ赤でも橙でもないサクラ色。エビの方は、これはまあエビ色というか活きのいい橙色、うまそう。

おやじさんはよく、新聞紙の切れ端に向かって色の調合具合を霧吹きで吹いて試していた。微妙な加減で厚化粧にもさやわかな品ある色にもなる。子どもでさえ菓子屋の息子は自然といろんな店の蒸し菓子を見るたびに色の違いを考えるから、どうして門前の小僧だ。

おやじさんは深夜まで、夕食も食べずに仕事に没頭し、だって間に合わなくなるからね、裸電球と蛍光灯の下で、鯛やエビに吹きつけ続けるんだ。

タケノコ孟宗竹は、これはもう黄色というより淡い黄緑色そのもので、根っこの方の太く堅い節のぎざぎざは焦げ茶色の羊羹をチューブで押し出して描いていた。

なかなかリアルである。霧吹きで色づけするときには手を左右に振りながら動かし、フーッと一気に吹く。すると鯛のお腹の部分なんかは色が付かずに白いあんこの白っぽいままになって、これもまたマチエールともども、なんだかリアルでいい。

注文はタイ何寸何人前とか口取り何人前とかで入る。披露宴の日はあらかじめ決まっているから、その日までになんとしてもつくりあげなくちゃあならない。

さあ、とうちゃん、注文、入ったでね。

とハッパを掛けるのは、おふくろである。

元来、女性というのは、そういう役割なのだ。

江戸の落語にはきまって長屋のそういうおかみさんが出てきて、亭主を上手く持ち上げて働かせるってのがあるけど、わが家も基本、その手のままである。

一方、法事の引き出物の方はというと、数あってまずは落雁。代表格だ。もち米の粉などの穀粉に砂糖や水飴などを混ぜて落雁の粉にし、それを鯛やエビの型に押しつけ、中にあんこを詰め、ギュッと押したら、端っこを木の棒でパンッと叩いて型から抜いて、取り板にずらーっと並べ、それをかまどで蒸して乾燥させて色づけした。

落雁の場合は、寒天は塗らないから、つまりつや消しなので、鯛やエビの目は、瞳は、確か最後に、墨をすって画竜点睛ってなふうに筆で画いた。

もちろん銅の霧吹きに食紅で上品な渋い色に着色したんだ。

まあ専門的にはよくわからないが、だいたいね、こんな感じ。ほとんど子どものころに観察した程度の知識で、申し訳ありません。そうそう落雁には菊もあった。菊の紋章みたいな形。法事だから渋く淡い蓮の花やロート状の蓮の実とかもあった。

で、砂糖そのものを引き出物にする、ってのもあった。袋に入った砂糖を、法事用の淡い紫色なんかの文様が印刷された紙箱に二袋とか一袋入れた。箱は印刷されて折りたたまれているのを問屋から買って来て、茶の間で折り上げてつくる。

仕組みはキャラメルの箱のまんまだった。

いまはなかなか見あたらないけど、和菓子の箱詰めも、もちろん引き出物である。

中花ちゅうかが多かった。いまではほとんど見られず、懐かしい幻の和菓子になっているらしいけれど、これは定番の一つ。まずどら焼きの皮みたいなのを焼く。それより薄く香ばしい。その真ん中に丸いあんこを乗せる。白あんも、こしあんもあった。

そのうまそうな皮の部分がぷつぷつと泡だって焼けてくると、皮の縁を爪に引っかけて半円に折り返し、オムライスのタマゴ焼き部分みたいに、表面がパリッとした半月型の香ばしいお菓子ができあがる。できたてはプーンといい匂いがした。

これをひと箱に二個とか、もっとたくさん詰めて引き出物にした。

もちろんどら焼きそのものも引き出物のお菓子になった。まんじゅうももちろん引き出物になった。天辺に焼印で星印なんかの模様をつける。楕円形の小判型焼まんじゅうってのもよくあった。まんじゅうの上部に真ちゅう製のイロハ紅葉みたいな形の小さな金具を載せて、逆さにして板で押さえて銅板に押しつけて焼く。と、その飾り文様の金具のとこだけが白く浮き出る。それ以外の部分は焦げ茶の焼き色。白いまんじゅうの上部がきつね色の小判型の焼き色で、しかも白抜けの文様がついている、そんなまんじゅうだ。

蒸す前のまんじゅうの皮というのはやわらかく、おやじさんの大きな掌の中でくるくる回されていると思ったら、いつの間にか中にあんこが入って、赤ん坊の握ったこぶしみたいになる。それを小判型に少し平たくしたり、ふつうのまん丸い蒸しまんじゅうにするんだ。

そうそう、お祝いの蒸し菓子には桃もあったなあ。ほんとに桃そっくりでうまそうだった。桃の割れ目は三角柱の例の道具で、二重線で刻む。

柿もあった。もちろん桃も柿も着色吹きつけで、桃は二色のグラデーション。柿のヘタは暗緑色の練り切りで、緑の小さな葉っぱや枝も付いて、それもみんなあんこの練り切りだ。柿の本体は寒天を塗るが、枝やヘタには塗らない。それはリアルさのためだった。

継続団子の竹串は、関川の堤防沿いにあった本家の田んぼの竹林からおやじさんが切り出して来て煮沸消毒し、一本一本、小刀で割ったり削り出して尖らせた。

おやじさんは和菓子作りに精を出している。

小さな菓子屋の奮闘記、ふむ、息子はちゃんと見ていたってわけだね!

つづく